企業の「知」を構造化：元司書が研究開発支援システム構築で活かす分類スキル
図書館から企業の技術情報管理へ：新しいキャリアの始まり
図書館司書の仕事は、多様な情報を収集し、整理・分類し、利用者が求める情報へアクセスできるよう支援することです。この情報管理に関する深い専門性は、実は図書館という枠を超え、様々な分野で応用されています。特に、情報技術やデータ活用が不可欠な現代の企業活動において、元司書のスキルが新たな価値を生み出す事例が増えています。
ここでは、大学図書館で約5年間司書として勤務した後、大手メーカーの研究開発部門にて、技術情報管理システムの構築・運用に携わることになった元司書のケースをご紹介します。図書館では、膨大な学術雑誌、図書、学位論文などを分類し、目録を作成し、利用者のレファレンスに対応してきました。その中で、情報の構造化、分類体系の設計、そして多様な利用者（研究者、学生など）の情報探索行動を理解するスキルを磨いてきました。
転職のきっかけは、所属していた大学図書館が新しい学術情報システムの導入を進めるプロジェクトに関わったことです。システム設計の初期段階で、情報の分類方法や検索機能について、司書としての知識を活かして提案する機会がありました。この経験を通じて、情報の「内容」を理解し、それを技術的な仕組みに乗せて「使いやすく」提供することに強い関心を持つようになりました。特に、企業の研究開発部門における技術情報、研究データといった専門性の高い情報資産を、どのように管理し、組織全体の知的資産として活用していくかに興味を抱くようになったのです。
研究開発を支える情報基盤の構築
現在、彼女が所属するのは、ある大手メーカーの研究開発部門内の情報システム担当チームです。主な業務は、研究者が日常的に生み出す実験データ、研究レポート、技術文献、特許情報、競合情報といった、多岐にわたる技術情報や研究データを効率的に管理・共有するためのシステム（いわゆる研究開発支援システム、技術情報管理システム）の企画、設計、導入、運用です。
具体的には、情報の登録・分類ルールの策定、メタデータ項目定義、検索機能の設計、ユーザーインターフェースの改善提案、そしてシステムの利用者である研究者からの問い合わせ対応や活用促進のためのサポートなどを行っています。これらの業務は、一見すると図書館司書の仕事とは大きく異なるように見えますが、根底にある「情報を組織化し、利用者が効率的にアクセスできるよう支援する」という考え方において、多くの共通点があります。
司書経験が活きる技術情報管理の現場
彼女の司書経験は、現在の業務の様々な側面で役立っています。
情報の分類と構造化：カギとなるタクソノミー・オントロジー設計
研究開発部門で扱う情報は、特定の技術分野に特化しており、その専門用語や概念構造は複雑です。図書館での資料分類（NDC、LCC、件名など）や目録規則（AACR2、RDAなど）に関する知識は、これらの複雑な情報を整理するための論理的な分類体系（タクソノミー）や、さらに概念間の関係性を定義するオントロジーを設計する上で非常に役立っています。どのような軸で情報を分類すれば研究者が必要な情報を見つけやすいか、異なる情報源（社内文書、外部文献、特許など）間で情報をどのように連携させるかといった設計は、まさに図書館で培った情報組織化のスキルが活かされる部分です。システム開発チームと連携し、データベースのテーブル構造やデータモデルを考える際にも、司書時代に情報資源の「構造」や「属性（メタデータ）」を深く理解しようと努めた経験が役立っています。
メタデータ設計と管理：情報の発見性を高める
図書館の目録作成において、タイトル、著者、主題、出版年などのメタデータを正確に付与することは、資料の発見性を左右する重要な作業です。研究開発支援システムにおいても、研究データや技術レポートに対して適切なメタデータ（実験条件、使用機器、関連プロジェクト、キーワード、機密区分など）を付与することが極めて重要です。どのようなメタデータ項目が必要か、その定義や入力規則をどのように定めるかといった設計は、図書館で培ったメタデータに関する専門知識が直接的に応用される領域です。不適切なメタデータは、情報がシステム内に埋もれてしまう原因となるため、この部分はシステムの利便性を大きく左右します。
検索機能とユーザーインターフェースの改善
図書館のOPAC（オンライン蔵書目録）は、利用者が求める資料を効率的に検索するためのインターフェースです。司書は利用者の検索行動を観察し、OPACの使いやすさや検索結果の妥当性を評価する経験があります。この経験は、研究開発支援システムの検索機能（キーワード検索、属性検索、ファセット検索など）を設計する上で非常に役立ちます。研究者がどのような言葉で、どのような情報を探そうとするのか、どのような情報提示が最も効率的かを理解し、システム開発チームにフィードバックすることで、より「探しやすい」システムを実現することに貢献しています。
利用者ニーズの理解とサポート
図書館のレファレンス業務は、利用者の漠然とした情報ニーズを具体化し、最適な情報源へ導くコミュニケーション能力が求められます。研究開発部門においても、システム利用者である研究者からの問い合わせ内容を正確に把握し、彼らが本当に必要としている情報や機能を理解することが重要です。システムの使い方に関するサポートだけでなく、研究活動における情報収集や整理に関する相談に応じることもあり、これはまさに司書時代のレファレンス業務の延長線上にあります。
情報リテラシー教育とデータ倫理
図書館は利用者に情報リテラシー教育を提供してきました。企業の技術情報管理においては、研究者や社員がシステムを正しく利用し、情報セキュリティやデータ倫理（例えば、共同研究におけるデータの取り扱い、機密情報の管理など）を遵守することが求められます。司書時代に培った「情報を批判的に評価する力」「情報を倫理的に利用する意識」は、社内での情報活用に関するルール策定や、利用者への啓蒙活動において重要な視点を提供します。
キャリアチェンジで直面した課題と学び
異業種へのキャリアチェンジは、新たな課題も伴いました。最も大きかったのは、IT技術に関する知識の習得です。図書館情報学の知識だけでは、システム開発チームとの技術的なコミュニケーションには限界があります。データベースの基礎、システム設計の基本的な考え方、プログラミングの概念など、キャッチアップすべきことは多岐にわたりました。
しかし、司書として情報を体系的に学ぶことに慣れていたため、新しい技術についても情報収集し、構造的に理解することに抵抗はありませんでした。また、システム開発プロジェクトは多くの関係者（研究者、情報システム部門、外部ベンダーなど）との連携が必要であり、図書館内での調整業務や、多様な利用者と関わる中で培ったコミュニケーション能力、プロジェクト進行管理の経験も役立ちました。
最も重要な学びは、司書として培った情報管理の専門性は、特定の場所（図書館）や特定の情報源（紙媒体、図書など）に紐づくものではなく、情報の種類や媒体が変化しても応用可能な普遍的なスキルであるということです。情報の分類、構造化、利用支援といった核となる考え方は、企業の技術情報管理という全く異なる領域でも強力な武器になることを実感しました。
現在の仕事の魅力と今後の展望
現在の仕事の最大の魅力は、自身の情報管理スキルが、企業の最前線である研究開発のスピードアップやイノベーション創出に直接的に貢献できている実感です。研究者が「あの情報、どこにあったかな？」と探す時間を短縮し、必要な情報にすぐアクセスできるようになることで、彼らはより創造的な研究活動に集中できます。そのための情報基盤を設計・構築・運用することは、大きなやりがいにつながっています。
また、情報科学やデータ分析の専門家とチームを組み、情報管理と技術を融合させた新しい仕組みを作り上げていく過程も非常に刺激的です。今後は、AIや機械学習を活用した技術情報の自動分類やレコメンデーション機能の導入、研究データの標準化と連携基盤の強化など、より高度な情報活用支援に携わっていきたいと考えています。
読者へのメッセージ
司書経験は、情報を扱い、人を支援するという非常に汎用性の高いスキルセットを提供してくれます。特に、情報技術やデータが溢れる現代において、情報を整理し、構造化し、利用者にとって使いやすく提供する能力は、多くの企業や組織で求められています。
もしあなたが情報科学を学び、司書という仕事にも関心がある、あるいは司書としてのキャリアに悩んでいるのであれば、図書館で培われる情報管理の専門性が、データサイエンス、情報アーキテクチャ、知識工学、UXデザイン、プロジェクト管理など、多様な分野でどのように活かせるのか、ぜひ視野を広げて考えてみてください。あなたの情報に関する深い理解と、情報を組織化する力は、きっと新しいキャリアを切り拓く力となるはずです。
まとめ
元司書が企業の技術情報管理システム構築というキャリアを選び、そこで図書館で培った情報分類・構造化、メタデータ管理、利用者理解、検索システム設計といったスキルをどのように応用し、貢献しているかを見てきました。情報の専門家である司書のスキルは、情報科学やデータ活用といった現代社会の核となる分野で、形を変えて活かされています。自身の持つ専門性を柔軟に捉え直し、それを必要としているフィールドを見つけることが、キャリアの可能性を大きく広げる鍵となるでしょう。