開発現場で役立つ情報整理術：元司書がソフトウェアドキュメンテーションをリードする
図書館で培った「情報を伝える力」をソフトウェア開発へ
図書館司書の仕事は、単に本を並べるだけではなく、利用者が必要な情報にスムーズにアクセスできるよう、膨大な情報を体系的に整理し、案内する専門性の高い業務です。この「情報を整理し、必要としている人に届ける」というスキルは、意外な分野で大きな価値を発揮することがあります。今回は、図書館での経験を経て、ソフトウェア開発の現場でテクニカルドキュメンテーションを担当されている元司書のAさんの事例をご紹介します。
Aさんは大学で情報学を専攻後、公共図書館で約5年間勤務しました。図書館では、図書の分類・目録作成、レファレンスサービス、情報リテラシー講座の企画運営などに従事。多様な利用者の情報ニーズを理解し、多岐にわたる情報源から適切な情報を見つけ出し、分かりやすく提供することにやりがいを感じていました。
司書としての仕事は充実していましたが、情報技術の進化を日々肌で感じる中で、より直接的に情報の構造化やアクセス性向上に貢献できるキャリアに興味を持つようになりました。特に、ウェブサイトの設計やアプリケーションのマニュアル作成など、デジタルコンテンツの情報設計に関心が高まり、テクニカルドキュメンテーションという分野を知ります。自身の情報整理能力や利用者視点が活かせるのではないかと考え、IT企業への転職を決意しました。
複雑なシステムを「理解可能」にする仕事
現在、Aさんは従業員向けの業務管理ツールを開発するIT企業で、テクニカルドキュメンテーションを担当しています。主な業務は、開発されたソフトウェアの機能説明や操作手順を記したドキュメント（マニュアル、APIリファレンス、FAQなど）を作成・更新することです。
具体的には、新しい機能がリリースされる前に開発者と連携し、機能の仕様や使い方を正確に理解します。その後、利用者が誰なのか（例えば、社内の他部署の担当者、システム管理者など）を想定し、その人にとって最も分かりやすく、必要な情報にすぐにたどり着けるようなドキュメントの構成を考え、執筆します。単に文章を書くだけでなく、図やコード例を適切に挿入したり、ドキュメント間のリンク構造を設計したりすることも重要な業務です。また、既存ドキュメントの改善提案や、ドキュメント管理ツールの運用・改善に関わることもあります。
この仕事は、ソフトウェアそのものの品質と同様に、それを「どう使うか」「何ができるか」を正確に伝えるドキュメントの品質が非常に重要となります。Aさんは、システムの複雑さを解きほぐし、利用者が迷わずに目的を達成できるよう、情報の設計者としての役割を担っています。
司書スキルがテクニカルドキュメンテーションで活きる具体的な場面
Aさんがテクニカルドキュメンテーションの仕事で特に司書経験が役立っていると感じるのは、以下の点です。
1. 情報の構造化と分類体系の構築
図書館の蔵書を分類し、目録を作成するスキルは、複雑なソフトウェアの情報を整理し、分かりやすい構造に落とし込む際に不可欠です。例えば、多数の機能を持つアプリケーションのマニュアルを作成する場合、どの情報をどこに配置すれば利用者が探しやすいか、どのようなカテゴリ分けが必要かといった「情報のアーキテクチャ」を設計する際に、図書館の分類学や情報組織化の知識が役立ちます。インデックス作成の経験も、ドキュメント内のキーワード検索性向上に繋がっています。
2. 利用者（読者）ニーズの深い理解
レファレンスサービスを通じて、多様なバックグラウンドを持つ利用者の質問の意図を汲み取り、最適な情報源を提示してきた経験は、ドキュメントの読者が「何を知りたいか」「どのような疑問を持つか」を予測する上で非常に有効です。専門用語がどの程度通用するか、どのような操作で躓きやすいかといった読者視点に立つことで、より実践的で親切なドキュメントを作成できます。
3. 情報リテラシー教育の視点
情報リテラシー講座で「どうすれば情報を見つけ、評価し、効果的に利用できるか」を教えてきた経験は、単なる機能説明にとどまらず、ユーザーがツールを使いこなせるようになるための「学習支援」という視点をドキュメントに取り入れることに役立ちます。チュートリアル形式の説明や、概念的な説明の加え方などにその経験が活かされています。
4. 情報源の評価と正確性へのこだわり
レファレンスサービスでは、情報の信頼性や正確性を常に評価することが求められます。この経験は、開発者から提供される断片的な情報や、実際にシステムを触って検証した結果を照合し、ドキュメントの内容の正確性を担保する上で重要となります。
5. プロジェクト進行における情報管理と調整
図書館で様々なプロジェクト（イベント企画、システム移行など）に関わる中で培った、関係部署との調整力や、必要な情報を収集・共有する能力は、開発、テスト、プロダクトマネージャーなど、様々な関係者と連携しながらドキュメント作成を進める上で不可欠です。
キャリアチェンジで直面した課題と学び
新しい分野への挑戦には、もちろん多くの課題がありました。最も大きかったのは、ソフトウェア開発に関する専門知識の習得です。プログラミングの知識は基礎程度しかありませんでしたが、開発者とコミュニケーションを取り、システムの仕組みを理解するためには、継続的な学習が必要でした。APIの概念や特定のフレームワークの仕組みなど、専門的なトピックを理解し、それを非エンジニアにも分かる言葉で説明する難しさを痛感しました。
また、図書館とは異なる企業文化や、開発プロセスのスピード感に適応することも学びでした。ドキュメント作成は開発と並行して進むことが多く、仕様変更に合わせて柔軟かつ迅速に対応する能力が求められます。
これらの課題に対して、Aさんは積極的に開発者とのコミュニケーションを取り、分からないことは遠慮なく質問するようにしました。また、オンライン学習プラットフォームや技術書を活用し、業務時間外も自己学習に励みました。ドキュメント作成ツールのMarkdown記法やバージョン管理システムのGitなども、実務を通じて習得していきました。
開発を支え、ユーザー体験を高めるやりがい
現在の仕事の魅力は、自分が作成したドキュメントを通じて、社内外の利用者がスムーズにソフトウェアを使いこなし、業務効率が向上するのを実感できる点です。開発された素晴らしい技術も、正しく伝わらなければその価値は半減してしまいます。情報を分かりやすく伝えることで、開発プロジェクト全体の成功や、ユーザーの満足度向上に貢献できることに大きなやりがいを感じています。
今後は、さらに専門性を深め、情報アーキテクトとして、ドキュメントだけでなく、社内のナレッジ共有基盤全体の設計や改善にも関わっていきたいと考えています。また、ユーザーテストなどを通じて、ドキュメントの使いやすさを定量的に評価する手法も取り入れていきたいそうです。
情報の専門家としての可能性
Aさんの事例は、司書として培われる情報に関する専門性、特に情報整理、分類、利用者理解といったスキルが、ソフトウェア開発におけるテクニカルドキュメンテーションという形で、情報技術分野において非常に価値の高い能力となり得ることを示しています。
キャリアパスに悩んでいる方、特に情報科学分野の知識と司書経験を結びつけたいと考えている方にとって、テクニカルドキュメンテーションは魅力的な選択肢の一つとなり得ます。図書館で磨かれた「情報を分かりやすく伝え、人が情報にアクセスするのを助ける」という力は、デジタル化が進む社会において、ますますその重要性を増していくでしょう。自身の持つスキルセットを見つめ直し、異分野での意外な可能性を探求してみる価値は十分にあります。