異業種へ飛び出す司書たち

情報の「信頼性」を見抜く目:元司書がAI開発で活かす情報リテラシーと倫理観

Tags: AI倫理, 情報リテラシー, データバイアス, 信頼性評価, キャリアチェンジ

図書館から最先端技術の現場へ:情報の信頼性を守る新たな挑戦

図書館司書として、膨大な情報の中から利用者に必要な情報を探し出し、その情報源の信頼性を評価し、適切に提供することは重要な業務の一つです。また、情報倫理や著作権といった側面にも常に配慮が求められます。これらのスキルは、一見すると情報技術の最前線であるAI開発とは無関係に思えるかもしれません。しかし、情報の性質を見極める力、倫理観、そして利用者(ユーザー)の視点を理解する力は、AIが社会に浸透する現代において、予想以上に大きな価値を持っています。

今回は、図書館司書としてのキャリアを経て、現在はAI開発を行う企業で情報の信頼性や倫理に関する業務に携わるAさんの事例を紹介します。Aさんがどのようにキャリアチェンジを果たし、司書経験が現在の仕事にどう活かされているのかを見ていきましょう。

元司書Aさんのキャリアパスと現在の仕事

Aさんは大学で情報学を専攻し、卒業後に公共図書館で司書として勤務しました。図書館では、主にレファレンスサービス、選書、情報リテラシー講座の企画・実施などに携わっていました。利用者が求める情報の真偽を見極め、多様な情報源を評価し、分かりやすく伝えることにやりがいを感じていたといいます。

司書として働く中で、インターネットやデジタル技術の進化に伴い、情報の量が爆発的に増加し、偽情報や誤った情報が氾濫する状況を目の当たりにしました。特に、AIが生成する情報の質や、AIが学習するデータの偏り(バイアス)が社会に与える影響について関心を持つようになりました。司書として培った「情報の信頼性を見抜く力」や「情報倫理」の知識を、より広範なデジタル情報、特にAIに関わる領域で活かしたいと考えるようになり、AI技術に関わる職種へのキャリアチェンジを決意しました。

現在、AさんはAIを活用したサービス開発を行うIT企業に勤務しています。役職は「AI倫理・品質評価担当」として、開発中のAIモデルが扱うデータの適切性評価、生成AIのアウトプットの事実確認や倫理的な問題点の検出、AIサービスの利用規約や倫理ガイドラインの策定支援など、多岐にわたる業務を担当しています。

司書経験がAI倫理・品質評価で活かされる具体的な場面

Aさんの現在の業務において、司書時代に培った経験やスキルが具体的にどのように役立っているのか、いくつかの例を挙げます。

  1. 情報源の信頼性評価とデータバイアスの検出: AIの性能は、学習データの質に大きく依存します。司書は、書籍や論文、ウェブサイトなど、様々な情報源の著者、発行元、公開日、論拠などを総合的に評価し、その信頼性を判断する訓練を積んでいます。このスキルは、AIが学習に用いるデータセットに含まれる情報の信頼性を評価したり、特定の視点に偏った情報(バイアス)が含まれていないかを確認したりする際に非常に有効です。Aさんは、学習データ候補となるテキストや画像のソースを調査し、意図しないバイアスが含まれていないか、倫理的に問題のある表現がないかなどを検出する業務で、司書時代の情報源評価の視点をそのまま活かしています。

  2. 批判的情報リテラシーの応用: 情報リテラシー教育において、司書は利用者が情報の真偽を見極め、鵜呑みにせず、批判的に情報を受け止める力を養う支援を行います。AIが生成するテキストや画像、分析結果についても、そのアウトプットが常に正確であるとは限りません。Aさんは、開発中の生成AIが作成したコンテンツについて、ファクトチェックを行ったり、根拠が不明確な表現を特定したりする際に、司書として培った批判的情報リテラシーを駆使しています。これは、AIのアウトプットの品質保証において不可欠なプロセスです。

  3. 情報倫理・著作権・プライバシーに関する知識: 図書館は、著作権法や個人情報保護法など、情報に関わる様々な法規制や倫理規定を遵守して運営されています。司書はこれらの知識を持ち、利用者や情報資源の扱いに細心の注意を払っています。AI開発においても、学習データの利用における著作権問題、個人情報の適切な取り扱い、AIの判断プロセスの透明性や説明責任など、倫理的・法的な課題が数多く存在します。Aさんは、司書として身につけた情報倫理や関連法規の知識を活かし、これらのリスクを事前に評価し、回避するための社内ガイドライン策定や開発チームへの助言を行っています。

  4. 利用者(ユーザー)視点の理解: 司書は常に利用者の情報ニーズに寄り添い、彼らが最も効率的かつ適切に情報にアクセスできるよう支援します。この「利用者中心」の視点は、AIサービス開発においても非常に重要です。AIがどのような情報を、どのような形で提供すれば、ユーザーにとって本当に役立ち、安心して利用できるかを考える際に、Aさんの司書時代の利用者支援経験が活かされています。例えば、AIからの回答がユーザーにとって分かりやすいか、不快感を与えないか、誤解を招かないかといった観点からの評価に関わっています。

キャリアチェンジで直面した課題と学び

司書からAI分野へのキャリアチェンジは、決して容易なものではありませんでした。Aさんが直面した主な課題は以下の通りです。

これらの課題に対し、Aさんはオンライン学習プラットフォームで技術の基礎を学び、社内の勉強会に積極的に参加しました。また、異なるバックグラウンドを持つ同僚の話を丁寧に聞き、自身の知見(情報の信頼性、倫理、ユーザー視点など)を分かりやすく伝える努力を続けました。この過程で、司書時代に培った学習能力や、多様な利用者とコミュニケーションを取る経験が役立ったといいます。技術的な側面は後から学ぶことができても、情報の「質」や「倫理」に対する深い理解と視点は、司書という専門職だからこそ強く持てるものだと実感したそうです。

現在の仕事の魅力と今後の展望

Aさんは、現在の仕事の最大の魅力は、最先端の技術に触れながら、社会にとってより信頼できる、より倫理的なAIを開発するという重要なミッションに貢献できることだと語ります。情報の洪水の中で、情報の価値や危険性を見極める司書的な視点が、テクノロジーの進化において不可欠な役割を担えることに大きなやりがいを感じています。

今後は、AI倫理や信頼性評価の分野における専門性をさらに深め、国内外の議論やガイドライン策定にも貢献したいと考えているそうです。

まとめ:司書経験は情報化社会の羅針盤となる

Aさんの事例は、図書館司書として培われる専門性が、AIをはじめとする情報技術分野においていかに重要であるかを示しています。情報の収集・整理・分類といった基本スキルに加え、情報源の信頼性評価、批判的情報リテラシー、情報倫理や著作権に関する知識、そして何よりも「利用者(ユーザー)の視点に立って情報を提供する」という姿勢は、デジタル化が進み、情報が複雑化する社会において、その価値をますます高めています。

情報科学や関連分野を学ぶ方々にとって、司書というキャリアパスやそこで得られるスキルは、図書館という枠を超え、情報に関わる多様な分野で活かせる可能性を秘めていることを、Aさんのストーリーは示唆しています。自身の専門性と司書スキルを掛け合わせることで、情報化社会の「信頼性」という、今後ますます重要になる領域で活躍する道が拓けるかもしれません。