異業種へ飛び出す司書たち

知識グラフ構築の現場で光る情報組織化力:元司書が拓くAI時代の情報活用

Tags: 知識グラフ, 情報アーキテクチャ, データ活用, キャリアチェンジ, 司書スキル, 情報科学

図書館での経験から見出した「情報の構造化」への関心

〇〇さんは、公共図書館で約10年間、司書として勤務されました。日々、利用者からの多様なレファレンスに対応し、膨大な情報の中から求められる資料を探し出し、整理し、提供することにやりがいを感じていたといいます。利用者一人ひとりの「知りたい」を深く理解し、紙やデジタルといった媒体を問わず、情報資源を効果的に組織化して提供するための技術を磨いてきました。

図書館司書の仕事は、単に本を並べることではありません。資料を分類し、件名を付与し、目録を作成するなど、情報資源に適切なメタデータを与え、利用者にとって「探しやすく」「たどり着きやすい」状態を作り出す、高度な情報組織化の専門家です。〇〇さんは、この「情報をいかに構造化し、利用者に届けるか」というプロセスに特に強い関心を持っていました。

しかし、図書館の枠を超え、より大規模で複雑なデジタル情報を扱う領域で、自身の情報組織化スキルを試したいという思いが募っていったそうです。特に、近年注目されているAIやデータ活用の分野において、情報の「つながり」や「意味」を明確にすることで、新たな価値を生み出す可能性に魅力を感じ、異業種へのキャリアチェンジを決意しました。

知識グラフ構築という新しいキャリアパス

現在、〇〇さんはIT企業の情報システム部門で、企業の重要資産である膨大な内部データを統合・活用するための基盤となる「知識グラフ」の構築・運用チームに所属しています。知識グラフとは、現実世界におけるモノや概念(エンティティ)と、それらの間の「関係性」を点と線で結んだグラフ構造で表現したものです。「AさんはBプロジェクトのメンバーである」「C製品はD技術を使用している」といった情報を、人間だけでなくコンピューターも理解できる形で整理します。これにより、複雑な情報の中から関連性の高いものを発見したり、推論を行ったりすることが可能になります。

〇〇さんの主な業務は、各部署に散在する様々なデータソース(データベース、ドキュメント、ログなど)を分析し、知識グラフの「スキーマ」(どのようなエンティティが存在し、それらがどのような関係性や属性を持つかを定義した枠組み)を設計することです。また、定義されたスキーマに基づいて実際のデータを知識グラフに取り込み、継続的にメンテナンスしていく作業も行っています。これは、まさに図書館で培ってきた情報組織化のスキルが求められる仕事です。

司書スキルが知識グラフ構築で具体的にどう活かされるか

〇〇さんは、知識グラフ構築の現場で、司書として培った様々なスキルが予想以上に役立っていると語ります。

まず、分類体系構築や件名付与の経験は、知識グラフのスキーマ設計におけるオントロジー(概念体系)の設計に直結します。図書館の分類法(NDCやLCSHなど)や件名表は、知識を体系的に整理し、特定の情報がどのような概念に属し、他の概念とどのような関係にあるかを示すためのものです。この考え方は、企業内の「人」「組織」「プロジェクト」「製品」「技術」といったエンティティを定義し、それらの間に「所属する」「参加する」「使用する」といった関係性を定義する際に、非常に有効な視点となります。曖昧な概念を明確に定義し、一貫性のある体系を構築する能力は、司書の重要な専門性の一つであり、知識グラフの基盤を設計する上で欠かせません。

次に、メタデータ管理の知識です。図書館ではMARCやDublin Coreといったメタデータ標準を用いて、資料の書誌情報や内容情報を記述します。どの項目にどのような情報を、どのような形式で記述するかという設計思想は、知識グラフにおけるエンティティのプロパティ(属性)設計に応用できます。例えば、「社員」というエンティティに対して「社員番号」「氏名」「所属部署」「役職」「入社年月日」「保有スキル」といったプロパティを定義し、それぞれのデータ形式や制約を定める際に、メタデータ記述の経験が活かされます。

さらに、情報資源の構造化に対する深い理解も大きな強みです。図書館司書は、単一の資料だけでなく、複数の資料間の関連性や、図書館全体の情報資源を一つのシステムとして捉える視点を持っています。この視点は、企業内に散在する多様なデータソースを、知識グラフという一つの統合されたモデルの中でどのように構造化し、意味的なつながりを与えるかを考える際に役立ちます。

そして、最も重要ともいえるのが利用者ニーズの理解です。図書館では、利用者が本当に求めている情報は何なのかを対話を通じて引き出し、様々な情報源を駆使して回答にたどり着きます。この経験から培われた「ユーザーがどのように情報を探索し、利用するか」という深い洞察は、構築する知識グラフが実際に利用される際に、どのようにすればユーザーにとって最も「探しやすく」「使いやすい」ものになるかを設計する上で非常に価値があります。どのような関係性や属性を定義すればユーザーが知りたい情報にたどり着きやすいか、どのようなクエリ(検索命令)が想定されるかといった視点は、司書ならではの強みと言えるでしょう。

技術的な側面では、情報科学を専攻した〇〇さんは、データベースの基礎知識があったことで、知識グラフでよく利用されるRDF(Resource Description Framework)やTriple Storeといった技術の構造を比較的容易に理解できたといいます。また、知識グラフから情報を引き出すためのクエリ言語であるSPARQL(SPARQL Protocol and RDF Query Language)も、SQLでのデータ検索経験があれば理解しやすく、プログラミング基礎の知識は、データの前処理や連携に必要なスクリプトを作成する上で役立っています。

例えば、特定のプロジェクトに参加した全メンバーの所属部署と、そのメンバーが過去に参加した関連プロジェクトを知識グラフから取得したい場合、以下のようなSPARQLクエリを設計・実行します。

SELECT ?member ?department ?pastProject
WHERE {
  ?project a :Project ; # Projectエンティティを検索
           :projectName "Bプロジェクト" ; # プロジェクト名が"Bプロジェクト"
           :hasMember ?member . # メンバーを取得
  ?member a :Employee ; # メンバーはEmployeeエンティティ
          :belongsTo ?department ; # 所属部署を取得
          :participatedIn ?pastProject . # 過去に参加したプロジェクトを取得
  ?pastProject a :Project . # 過去に参加したプロジェクトもProjectエンティティ
  FILTER (?pastProject != ?project) # 現在のプロジェクトは除く
}

このような複雑な情報の関係性を把握し、クエリとして表現するためには、情報の構造を理解する力と、それを体系的に捉える思考法が不可欠であり、司書時代に資料や利用者情報の構造を扱った経験が活きているとのことです。

キャリアチェンジで直面した課題と学び

異業種へのキャリアチェンジにあたり、〇〇さんが直面した課題の一つは、新しい技術領域の専門用語や概念の習得でした。知識グラフ、オントロジー、RDF、SPARQL、グラフデータベースなど、司書の世界ではあまり馴染みのない言葉が飛び交います。しかし、図書館で常に新しい情報やツールについて学び続ける必要があった経験や、レファレンスのために様々な分野の知識を短期間で吸収する能力が、新しい技術を学ぶ上での下地となりました。

また、企業における開発プロジェクトのスピード感や、明確なビジネス成果が求められる環境への適応も必要でした。図書館の業務とは異なる時間軸や評価基準に戸惑うこともあったそうですが、利用者サービスの向上を目指して業務改善に取り組んだ経験や、関係部署との調整能力が、チームでの協業やプロジェクト推進に役立ったといいます。

現在の仕事の魅力と今後の展望

〇〇さんは、現在の仕事の最大の魅力は、図書館で培った情報組織化の専門性が、AIやデータ活用といった最先端の分野で直接的に価値を生み出せることだと感じています。自身が設計・構築に関わった知識グラフが、社内の情報探索を効率化したり、AIによる高度な分析や推論の基盤として機能したりするのを見ると、大きな達成感があるといいます。

今後は、より大規模で複雑な知識グラフの構築に挑戦し、自然言語処理技術と連携させて、人間が自然な言葉で知識グラフと対話できるようなシステムの実現にも貢献したいという展望を持っています。

キャリアに悩む方へのメッセージ

〇〇さんは、ご自身の経験を通じて、司書の専門性が図書館の中だけでなく、情報技術やデータ活用の分野でも高く評価される可能性があることを実感しています。特に、情報を体系的に整理し、構造化する能力や、利用者のニーズを理解して情報を提供するスキルは、デジタル化が進む現代において、様々な分野で求められる普遍的な能力です。

もし、司書としてのキャリアに悩み、自身の持つ情報管理や組織化のスキルを他の分野で活かしたいと考えているなら、情報技術やデータ関連の分野に目を向けてみることを勧めています。必ずしも高度なプログラミング能力が必要なわけではなく、司書として培った「情報の扱い方」に関する専門性と、新しい技術を学ぶ意欲があれば、知識グラフ構築のように、自身の経験が独自の強みとなるキャリアパスを見つけられるかもしれません。情報科学の基礎知識は、そうした新しい分野への扉を開く強力な鍵となるでしょう。

まとめ

元司書が知識グラフ構築の分野で活躍する事例は、司書経験が情報技術と融合し、現代の情報活用に貢献できる可能性を示すものです。情報組織化、メタデータ管理、利用者理解といった司書独自のスキルが、知識グラフのスキーマ設計やデータ構造化において重要な役割を果たします。情報科学やデータベースの知識と組み合わせることで、元司書はAI時代における情報の「つなぎ役」「意味付け役」として、新たなキャリアを切り拓くことができるのです。